中学・高校の英語・英検の勉強プリント-大人の英語学び直しにも

中学と高校の英語教科書の解説。英語の成績をあげていきましょう。

元、不登校児、東京や食べ放題のすごさに惹かれ、悩みが吹っ飛ぶ

福島の進学校に通っていた時、

勉強が嫌いで、学校も嫌いになり、不登校になりました。

 

友達のおかげでそこから脱することはできましたが、勉強嫌い、

大学も見えずに、死人のように高校にただただ通っているだけでした。

 

そんな私におばから「東京においでよ」の誘いが。

そして、毛嫌いしていた東京での出来事です。

 

 

いとこのおばさんの粋な計らいー楽しい場所のオンパレード

f:id:good49:20200617112655p:plain

東京ジョイポリスに連れて行ってもらう

出典:https://tokyo-joypolis.com/

 

一番最初に連れて行ってくれた場所、そこは、ジョイポリスと呼ばれる屋内型の遊園地でした。

 

当時、新宿の高島屋の中に遊園地が入っていました。

 

屋内型の遊園地でさえ初めてなのに、そこには何と、ジェットコースターが縦横無尽に走っているのです。

 

「なんだここは?」

 

度肝を抜かれました。

 

 

体感型のアトラクション。

 

ヘッドフォンをつけて、ホラーを体験。

 

オールを使って川を下るのを体験。

 

とにかく室内なのに、体を動かせて5感をバッチリ使って楽しめました。

 

「楽しい」

 

ふさぎ込んでいた気持ちも、どこかに吹っ飛んでしまいました。

 

今はお台場にジョイポリスがあります。

tokyo-joypolis.com

 

夜は焼肉の食べ放題をごちそうになる

f:id:good49:20200626103012j:plain

焼肉もデザートも食べ放題のお店に感動する

いとこが住んでいる家の近くに、焼肉食べ放題のお店がありました。

 

そこに連れて行ってもらいました。

 

当時、福島県で僕が住んでいる地域は食べ放題が珍しかったため、ここにも感動しました。

 

思えば、この時が初めて感動した食べ放題だったのだと思います。

この日以来、食べ放題があると、どこにでも出かけていました。

 

食べ放題がなぜか大好き。

大学生になっても社会人になっても食べ放題に出かけていました。

 

そこにはこんなところにルーツがあったのだと記事を書いていて改めて発見しました。

 

東京のいとこの家に来ると、この食べ放題の店に連れて来てもらえる。

心のオアシスのようになっていました。

 

それもそのはず、 不登校でうつ病のようになっていた私ですが、あの夜、肉をたくさん食べて、「美味しい美味しい」 と感動する度に、

 

悩むマイナスの気持ちよりも、楽しいプラスの気持ちが増えていった

 

からだったのでした。

 

大人になるまで無意識に大好きだった食べ放題の何に惹かれたか?

食べ放題の何に惹かれたか?

 

それは、値段が一定の安心感。食べる種類の豊富さ。などいろいろあると思うのですが、

 

今思えば、

 

進学校という縛りの中、勉強しかできないわずらわしさ、自由にならない日常があって、

 

東京に来た時の非日常空間。

 

そんな中、おばが「Satoくん、自由に何でも食べて良いんだよ。」と言われて、自由にできた、何でもして良いと言われた、その自由さに心底感動して、自分の自由を体感できた場所なのだと思います。

 

新宿の夜景を散歩しながら見て、心から感動する

f:id:good49:20200617113353j:plain

新宿の夜景に一目惚れする

出典元:【新宿】夜景プロが選ぶ!無料で楽しむ夜景スポット7選【Lets】レッツエンジョイ東京

 

いとこの家は新宿の近くにあったため、新宿の夜景を横目に歩いていとこの家まで帰ってきました。

 

巨塔のようにそびえ立つ、巨大ビル群の間をぬって。

 

そんな中を、夜、気持ちよく颯爽と歩くと、

 

「新宿ってすごいなぁ。楽しいなぁ」

 

という気持ちがいやが応でも湧いてきました。

 

夢は目指せ東京ーいとこのおかげで新宿に魅せられて

f:id:good49:20200616115039j:plain

東京の新宿は驚きと感動の連続だった

結果的に、その東京の旅は、私にとって感動の連続でした。

 

魅力的なビル群。

 

福島にはない繁華街。にぎわい。

 

見るものすべてが新しく、学校の勉強とは違う楽しさがありました。

 

例えば、東京のバスは事前料金制、

 

福島は遠くに行けば行くほど、料金がかかっていくのに、東京のバスは事前に同料金を徴収するなんて、すごい。

  

そんなことにも感動を覚えていました。

 

その後も、高速バスを利用して、休みの度にいとこのお宅に世話になりに来ていました。

 

いつしか、「将来は東京に来たい」と思うようになっていました。

 

東京に行く方法を考えるのでした。

 

続きは次回に