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中学と高校の英語教科書の解説。英語の成績をあげていきましょう。

英語が話せるようになったのは、不登校経験のおかげ

今や、あらゆる外国語を1ヶ月〜3ヶ月で話せるようになりましたが、

大学入学時は日本語すらどもって出てこない。そんな人生でした。

 

僕の不登校&廃人経験が、まさか英語に活かされているとは。

今日はそんなお話です。

 

 

1日20単語で過ごした高校生活→日本語が出てこない

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親から

「良い高校に行きなさい、ここがあなたが行く高校よ」

 

と言われて、「なるほど、そうなのか」と疑いもなく行った結果、

 

僕にとっては、人生初のとんでもない修行を積む高校となりました。

 

部活も学校も何もかも嫌になってしまって

その高校に行けなくなってしまいました。

 

 

かろうじて、友達のおかげで学校に引っ張り出され、

劇団に応募するなど故郷逃亡をはかったのですが逃亡できず。

新宿のいとこだけが唯一の光

残された道は大学進学のみ。

 

そんな高校時代でした。

 

ほぼ廃人だった僕は、

1日話す言葉は、「おはよう」「いってきます」

「よ」「またな」「ただいま」「いただきます」「おやすみ」

くらい。

 

家族と仲の良い数人の男子の友達(男子校だったので)と挨拶を交わす。

それだけで1日が終わりました。

 

頭の中にベートーベンの第9が流れるくらいおかしな勉強して

やっとの思いで横浜の大学に受かるも、

田舎から出てきたどんくさい僕に興味を持つ人は誰一人おらず、

大学の新入生歓迎会では友達ができません。

 

しかも、高校生の時に言葉をほぼ固定で言っていたから応用も利かないし、全く話せない。

 

「あ、」「あ、」「あ、」

こんなにも言葉を出していないと、話せなくなるのか?

絶望を感じたのでした。

 

英語が話せるようになりたい、と思う途方もない夢が芽生える

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山下公園でサークルの集まりがありました。

1つ上の、憧れているツイストヘアーの女の先輩がいました。

 

山下公園でのんびりしていると、外国人観光客が数名、話しかけてきました。

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山下公園は横浜駅からすぐの憩いの場

 

びっくりして、おどおどしていたら、

ささーっとそのツイストヘアーの先輩が出てきて、英語をペラペラ話すのです。

 

「すごいっ」

 

一瞬で心を奪われました。

そして、心がときめきました。

That did really spark for me.

 

英語を話すことができる同年代の人を初めてみたので、

心がウキウキワクワク高鳴り、感動しました。

 

僕が住んでいたところでは英語の先生が外国人の先生と話しているのを授業で見たくらいしかなかったからです。

 

「英語話せるようになったら格好良いだろうなぁ」

 

でも。日本語も話せない俺が話せるのか?

 

そんなことを考えながら、日々を過ごしているうちに、すごい存在と出会います。

 

それが帰国子女の存在です。

 

光と名前のついた素敵な帰国子女が目の前に現れる

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光と名のついた帰国子女(救世主)が目の前に現れる

日常生活で言葉が出てこない。

 

せっかく出たい出たいと思っていた横浜(首都圏)の大学に出てきた僕が、

次に克服しなければいけない問題でした。

 

そこに、光と名のついた救世主が現れるのです。

 

彼は、アメリカとマレーシアの帰国子女。

*帰国子女とは親の都合で数年間海外で暮らしてきた子どものこと。

 

彼は携帯のアドレスに500人いて(僕はまだ5人)、さらにはクラス中の人と話ができ、

キャンパス内も彼を知らない人はいないくらいのインフルエンサーでした。

 

その彼が、声をかけてくれたのです。

 

 

光が導くコミュニケーションの方法が人生を変えた

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天と地ほどの差があった彼とのコミュニケーションスキル。

 

彼は全世界の人とコミュニケーションが取れる世界スキルを持ってました。

 

そこで、僕は、彼から学べることはすべて見よう見まねで学ぼうと思いました。

 

学ぶとは真似ぶが語源ですよね。

当時、彼の後ろにくっついて、常に様々なことを真似していました。

 

こと、語学に関してはこれがものすごく大切。

外国語を6種類くらいしていたら、本当に大切だと実感しました。

 

具体的には、話しかけるタイミング、話しかける言葉、

どのように彼が接しているのか毎日のようにくっついて学びました。

 

大学生活において、様々な講義やワークショップがあったのですが、

彼から学んだコミュニケーションスキルが一番豊かな僕自身の学びになった、

そう言っても過言ではありません。

 

学校の学びは、知識を増やし、良識を育てる学習だけど、

彼から学んだことは、実生活で豊かになるための学びだったからです。

 

実際、光くんから学んだ僕は

・1年後、携帯アドレスが300を超え、

・さらには下級生100名の前で話をすることになり、

・そして留学をし、

・英語をスラスラ話せるようになるまでに成長したんです。

 

帰国子女から日本語の話し方も英語の話し方も学んだ

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帰国子女は世界中の人と話していた

帰国子女は日本語でコミュニケーションを取ることもそうですが、

英語がペラペラなので、世界中の人(留学生の人)とも円滑に

コミュニケーションを取っていました。

 

僕はラッキーでした。

 

日本語の話しかけ方、言葉の使い方を学ぶだけではなく、

英語でもどのように話しかけているのか?

何を話しているのか?がわかったからです。

 

もちろん、ほとんど何を言っているかはわからなかったのですが、

その度に、「何って言っていたの?」

「この単語とこの単語の違いは?」

「どうやったら英語て話せるようになるの?」

とことあるたびに質問するようになっていました。

 

これが語学の礎を築いていったのだと思います。

 

不登校がなければ、日本語を話すことも下手くそだった僕じゃなければ、

あんなに貪欲に学ばなかった。

英語が話せるようにはならなかった。

 

だから、不登校のおかげ。

 

過去の嫌な思い出、目の前の嫌な人に感謝できると開運する

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道が開ける時は、過去の見方を変えた時

自分が嫌だなと思う経験、目の前の人。

そこに実は開運の秘訣が隠されている。

 

これは病気もそうです。

その病気があったからこそ、人生がより感謝できるようになった。

そのために病気を神様がくれたと思うこと。

するとその病気から解放されることがある。

 

人生において、試練は何度もやってきます。

命とは「人は一度は叩かれる」と書くから。

 

ちなみに、その人生の試練すら、あなたが天国にいた時に決めてきているといいます。

 

今回、不登校が自分にとってはものすごく汚点だったんだけど、

語学を考えたら、感謝すべき事項に変わりました。

 

こうやって黒い歴史を白いものに変えていくことができると、

過去のその瞬間にも感謝ができるようになります。

 

そうすると、人生って開運していくんです。

 

あなたにもないですか?黒い歴史。

さらには嫌な人っていませんか?

 

その黒い歴史、嫌な人に感謝できるようになると、

人生は驚くべき方向に転換していきます。

あなたの人生がより幸せ多き人生になりますように。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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